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HOME > Market&Market > コラム > 大山登山
4.大山登山4月29日、30日と丹沢の大山に行った。昨年の安達太良以来の山である。ゴールデンウィークの連休あけに締切がくる何万字という仕事が3本ばかりあって、それも容易に片づく原稿ではない。細かい仕事も多く抱えたまま。しかし、いっかな仕事は進まない。いつもそうだが、このままではダメだと、思い立って行くことにした。私には、どうも、「愛の逃避行」ならぬ、「仕事の逃避行動」の癖があるようだ。 日本酒の会の山行き部隊に頼んで、同行させてもらう。女史を含む9名。私のワンボックスを出すことにして、新宿に朝7時に集合。集合に遅れてはならじと、家を4時半すぎに出て、1時間ばかり早く到着。 早起きの甲斐あって、道は混んでなかった。 丹沢ははじめてである。大山と書くと、大阪出身の私は伯耆大山(ほうきだいせん)を思い浮かべるが、丹沢は「おおやま」である。修験道の霊峰だ。 宿坊、食堂、みやげ物屋が軒を連ねる石段を暫く行くと、大山ケーブルの駅に出る。さすがにケーブルは使わず、段の多い道を行く。ケーブルの終点、阿夫利(あふり)神社下社までは、男坂と女坂の2道に分かれており、購買の緩やかそうな女坂を行く。 下社から、片開きになった門をくぐり、山頂まで行く。 阿夫利神社は、その名から察しられるように、雨乞いに霊験あらたかな神社であり、大山は一名、雨降(あふり)山ともいうらしく、江戸期には富士山と対になった信仰の山として多くの参詣者を集めたという。片方にしか登らないと「片参り」となるというのである。優秀なプロデューサーがいたようにも思えるが、おそらく、幕末の庶民の旅行熱のなせる風習だったろう。 男坂と女坂の名にしても、確かに男の方が多少険しいようだが、あるいは、女人を差別してのことであったのかもしれない。片開きになった門はもともと結界でもあったのだろう。 調べもしないで、いい加減なことを思い浮かべながら、山頂を目指す。丹沢山塊は古い山だという先入観があって、また、伯耆大山の連想もあったろう(伯耆大山も確か古い山で、二十年ほど前に上ったときに山頂を結ぶ尾根伝いの道の左右とも崩落しかかっていて危険だったことを思い出した。その話をしていたら、中国地方出身のA氏から、今は木道になっていると教わった)、きっと緩やかな山だろうと舐めていたのだが、階段が組まれていたからか、思いのほかきつかった。 階段を上りながら、金剛山に少し似ていると思った。森林越しに眼下に広がる都会がそう思わせたのかもしれない。 山頂で昼食。ビールと日本酒でほろ酔いになりながらの下山。下社の茶屋で名物だという蓬餅を干し柿と牛皮で包んだ和菓子を食べる。「牛皮」談義となり、牛の皮を三日三晩ぐつぐつと煮るのだということになった。下りはケーブルに乗る。なかなか急勾配である。 下から仰ぎ見ると、大山があらためて綺麗な形の山であることがわかる。人々が抛っておかないわけだ。 七沢温泉につかる。アルカリ性の強い温泉らしく、肌がつるつるする。いい温泉である。 泊まりは法論堂(おろんど)近くのログキャビン。大山名物の豆腐を食し、バーベキューをつつく。仕事のことを忘れて、仲間と日本酒を酌み交わすのは楽しい。 翌日は、沢を登る。山躑躅の群生があると教わったからだが、まだ、咲いていなかった。尾根に出るところに1本だけ、咲きかけの山躑躅があった。ついでに経ヶ岳に寄って、ログキャビンに戻る。右膝が笑っている。 遅めの昼食時に、残った酒を飲む。昨日、ザラザラすると酷評したのが恥ずかしいほど端麗な酒である。人間の評など、否、私の批評眼など、いかにあてにならないかをあらためて思い知る。
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