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2002年10月14日 「カーネマンのノーベル経済学賞受賞に思う」
先日、ある新聞の論説委員から質問を受けた。「エコノミストは理路整然と曲がる」という相場格言の出所をご存知か、というのだ。知っていそうな何人かに聞いたけれども不明のままだという。それで、私のところにも来たというのだ。
確かに、引用したことは何度かあるが、どうも出典は思い出せない。そもそも、出所がわからないから、「格言」なのではあるまいか。わかっていれば、「名言」であろう。
それはさておき、ここでいう「エコノミスト」は経済学者のことでもある。日本では、経済学者とエコノミストは別のものであるが、欧米ではほぼ重なった概念である。したがって、この格言は「経済学者は理路整然と曲がる」という意味でもある。
曲がる理由は2つ。理論がおかしいか、理論を正確に適用して考察していないか。
私には、個別のケースがいずれなのかはわからないが、例えば、「株価は永遠に高原状態を続けよう」と言ったアービング・フィッシャーは、大恐慌の後も、暴落した現実の株価に疑問を持っていたという。
いずれにせよ、そもそも、従来の経済学の前提から、「人間」の視点が抜け落ちがちであったのが原因ではないかと思う。
今年のノーベル経済学賞を受賞した一人は、行動経済学のダニエル・カーネマン教授(プリンストン大)だった。行動経済学では、人は不確実性下では合理的な判断をするとは限らないという前提で、経済や金融を捉えようとする。カーネマンは、故トバスキー教授とともにプロスペクト理論や心理的会計簿(ここでは説明は省略する)を唱えて、行動経済学の基礎を確立した。
先のフィッシャーの例も、フェスティンガーの認知的不協和(心理的に受容し難い情報・事実は認め難い)の例でもある。
社会は、また、その下位システムであるマーケットは、人間によって運営されている。極めて人間臭いものなのだ。
経済学における行動経済学の位置づけは、私が監修した『投資の心理学』(リフソンとガイスト編著。東洋経済新報社)に寄せた三隅隆司一橋大学助教授の「視点
経済学と心理学」を参照いただきたいが、そこには、「そもそも『効用』という概念は人間の心理的特性にもとづいて考案(発明)されたものなのである。(略)カール・メンガーは、その著『一般理論経済学』において、「人間の欲望」に関する考察を心理的側面を含め非常に広範な立場から行っている。さらには、経済学の生誕の書といわれるアダム・スミスの『国富論』においても、人間の心理的作用に関する記述がそこここにあらわれている。このように考えてみると、経済学は、その生誕以来、200年以上にわたって心理学と密接な関係を有してきたのである。したがって、現在において、経済学が心理学を適用しているからといって、それはとくに驚くべきことではないし、ましてや『経済学の独立性』を侵すものとして警戒したり嘆いたりする必要はない」とある。
行動経済学は、今後の経済や金融のあり方にも示唆を与えるところが大きい。
例えば、同じく三隅隆司は、「日本における不良債権問題の行動経済学的理解:不良債権の処理が進まないのはなぜか?」『商学論纂』(中央大学。第43巻第3号)で、行動経済学の視点から、現代日本の不良債権問題に関連する諸課題を考察している。従来、この問題は、システムというマクロ的な視点から考察されていたが、銀行経営陣という経済主体の人間行動に照準を当てて心理的特性を考察することで、不良債権問題の解決を遅らせている原因を統一的に説明する理論的仮説を示した。公的資金の投入によって不良債権の処理を銀行に促すという手法が、銀行の財務状態と矯正すべき目標を明確にしないまま行われたために、問題解決のための必要かつ適切な額を「上回る」資金投入が行われ、所期の効果があげられなかった可能性を指摘する。
三隅氏は金額の多寡が取り上げられているが、さらに心理的収支計算を利用することも考えるべきだろうと私は考える。われわれは、例えば、公的資金を出す場合にも、その資金の出し方を受け取る側や納税者の「心理的会計簿」に照らして考えるべきである。そうすることで、社会コストの無駄遣いは低減できるはずだろう。
話をマーケットに戻そう。
「エコノミストは理路整然と曲がる」という相場格言は、例えば、ロイ・ロングストリート著『相場のこころ』(東洋経済新報社)のなかの「予測」というエッセイの文末に添付した。そのエッセイの一部を引用する。
「怠け者が相場で成功することなどない。もし、予測が完璧であると思っているとしたら、安易な方法で取引しているということだ。とんでもない。取引するには懸命に働かねばならない。もし、対処することができなかったり、思いもよらず泥沼に落っこちたときに泳ぐことができないとしたら、予想屋ではあるかもしれないが、明らかにトレーダーではない。
もし、確からしいというところから出発すれば、疑いに終わる。しかし、疑うことから始め、勤勉であれば、確実にゴールできよう。
秀れたトレーダーは、完璧に予測することができるということなど認めまい。自己防衛のために必要だから、認めないのだ。もし、確実であることを認めれば、注意力は鈍る。鈍感な心眼では、迅速に行動することなど適わない。」
その最後に、原著にはないけれども、相場格言を付したのである。
ちなみに、原著は30年以上も前に出版されているが、何篇かのエッセイのなかで認知的不協和や同調の問題も取り上げている。
マーケットを考えるには、心理学は欠かせない。
ロバート・キヨサキ他著『金持ち父さんの投資ガイド 上級編』(筑摩書房)にも、こうある。
「ピーターによれば、投資銀行は将来の収益予測に関して大風呂敷を広げるCEOや起業家たちを嫌う。ピーターはまた、マイクロソフト社のビル・ゲイツは控えめの収益予測をすることが多いと指摘している。これは、株価をいい状態に維持するためのすばらしい戦略だ。CEOたちが大風呂敷を広げ、収益予測の通りにならなかった場合、株価はたいてい下がり、投資家たちはその会社を信頼しなくなる。」
これは、ポジティブ・サプライズを狙っての経営陣の行動を指摘したものだ。
「プロの投資家で、自分のチームの一員として心理学者を含める人が多い理由はここにある。少なくとも私が一人含めているのはこのためだ。私もほかの人と同じように恐怖心を持っている」ともある。
私の最新刊(10月17日配本。監訳)『デイトレード マーケットで勝ち続けるための発想術』(オリバー・ベレス他著。日経BP社)でも、心理は、マクロ的にもミクロ的にも心理が大切であることが書かれている。心理という単語が25回も登場しており、「本質的に、トレーディングの85パーセントは心理的なものであるから、すべてのマーケット参加者が必ず直面する心理的、感情的な困難に対処する手法を提示する」などとある。
カーネマンの受賞は、従来の経済学への反省の意味もあるのであろう。昔から、この分野に注目してきたものとしては、喜ばしい限りなのだが、一点、悔しいことがある。ちくま新書から三隅氏との共著で出すことになっていた『マネーの心理学』がまだ出ていないことだ。カーネマンが来年に受賞してくれていたらと思うのは、私という人間の心のバイアスであろう。
林 康史
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