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東京大学大学院受験の顛末(その一)

1997年6月頃、大阪大学法学部同窓会のニューズレターが郵送されてきました。中に は学部長名の1枚の書類が入っており、そこには「社会人のための大学院を作りますので、 興味のある方は大学院教務係まで問い合わせること」となっていました。私は何気な く電話をしてみましたが、まだカリキュラムも何も整理されておらず、それなりにな っていました。その後、私が今後の日本の金融法制度を研究したいと、質問の際に電話で言ったからでしょうか、突然、前学部長で経済法も研究されていた江口先生から電話をいただき、阪大の大学院に帰ってくるように勧められました。

とりあえず願書だけは取り寄せましたが、私としては東京に家族もあり、仕事もあ り、物理的にやはり無理だろうと考えて、結局、自宅から通学可能な、東京大学大学院の願書を出すことにし、当時、東大大学院で経済学を専攻していた又従弟の土居丈朗君に、願書と過去問(過去の入試問題。大学の教材部で販売されている)を取り寄せてもらいました。申し込み期間は7月下旬の1週間でしたから、準備する時間はほと んどありません。私は、金融法を勉強したかったので民法を試験科目 に選択して願書を提出しました。単に、金融法学会会員の学者には商法か民法の研究者が多いというだけの理由で、また、とりあえず、20年ぶりの法律ですから、基礎的なもの、改正があまり行われていそうにない民法を選んだというわけです。

願書受付の消印有効の締切日を1日勘違いしていたため、研究テーマ を急いで書き上げて(研究したいことは明確でしたので、これはすぐに書くことがで きました)、夜7時ごろ、東京中央郵便局に駆け込んだのでした。いつもながらの綱渡りです。

過去問(民法は毎年2問出題されている)を見ると、1問は非常に具体的な事例に関する問題でしたが、もう1問は理論的な話で質問自体が理解できない年も ありました。半分の6割から7割とっても合計で30点ですから、「これは合格するわけがない。準備しても無駄だ」と思ったわけです。ただ、さすがに試験前は大昔の本を取り出して、民法の概論について眺める作業をしました。本は随分前に書庫から探し 出していましたが、一方で、真剣に勉強しても通らないという思いが強かったので、 ほとんど見ずに放置してありました。本当の直前になり、試験の前々日あたりにパラ パラと読み始めてみたがやはり何も覚えていない。「これはいかん」ということで専門用語だけは見直そうと、法律用語だけをそのページをめくった瞬間に、まるで写真 でも撮るかのように目に焼き付けては、また、次のページへと進む作業を行いました 。これは、試験会場に向う電車の中でも行いました。3時間程度勉強しました。3時間 勉強したというと毎日3時間の勉強を1年間ほども積み重ねたと思われることが多いの ですが、全部で3時間でした。試験は9月2日だったと思います。非常に暑く(会場にはクーラーがなかった)蝉の鳴く声がやかましかったのを覚えています。

2問とも非常に具体的な問題であり、民法のなかでも債権債務のところしか出ない と試験問題にヤマを張っていましたので本当にラッキーでした。自分としては随分と 書けたと思います。おそらく、私がこれまでに受けた法律の試験の中で一番できたのではないかと思います。2時間ずっと考えっぱなし、手を動かしっぱなし。頭を動か し、試験が終わった時にはくたくたになっていました。法律どころか、随分、久しぶ りの試験でした。

さて、なぜ学校を受けようという思いに至ったかというと、それはやはり職場での 環境があったかと思います。その時に大阪大学の大学院の話を知るに及んで、こうい う道もあるのだと思ったのです。もちろん、会社を辞める気はありませんでしたので 、「会社に勤めて給料をもらいながら2年間勉強できればどんなにいいだろう」と、 まずは考えました。そのころは職場で『日本版金融ビッグバンに備えて保険会社がど うなっていくか』という調査研究にも携わっていましたから、それに関して勉強したいと思っていました。当然、金融ビッグバンとは金融制度大改革という意味で 、しかし、制度改革であるからには究極的には法律の範疇の仕事、作業になるわけで す。当時の状況をみますと法律家、あるいは法律からのアプローチが、この分野に関 しては非常に手薄だということを感じていたわけです。江口先生と電話で話した時も 、新しいテーマであるから自分で勉強するしかないということを感じました。一方、 阪大に戻っておいでとも言われましたから、ひょっとするとあるいは東大の大学院にも合格するかもしれないと勘違いしたわけです(我ながら、楽天的なことです)。東大のK先生にを某先生から紹介していただき(これもまったくの勘違いで、紹介さ れてはいなかったのですが)、K先生とも電話でお話する機会を得ました。この時 、先生はまず「林さんはいくつだ」と聞かれ、「僕と変 わらないじゃない。大学を出てから法律の勉強はしていないんでしょ」「まず、い ろんなことを心配する前に試験が大丈夫かな」と言われましたが、それもすごくあり がたかった。20年ぶりの法律ですから「落ちて当たり前なんだ」と当然ながら非常に 気が楽になりました。その先生は付け加えて、「法律というのはどこにいても自分で勉強できるんだよ」と言われました。ですから、随分とさばさばした気持ちで試験に臨む ことができました。落ちついて、適度の緊張で臨むことができたわけです。

試験会場では、胸に弁護士バッヂをつけた方がいたり、皆、それぞれに分厚い本を 読んでいました。手作りの驚異的なバインダーを見ている人もいました。私は薄い概説書しか持っていませんでしたから、その本を机の上に広げることもできず、ただただ試験の始まりを待ったわけです。試験会場の大教室には民法の他に西洋政治史やいろいろな試験科目で受ける人が一緒になっていましたが、ここでもラッキーなことが ありました。私は知らなかったのですが、「今から民法を受ける人は司法試験用の六法を配ります」というアナウンスがあったのです。3時間の勉強が非常に役に立ちま した。ほとんど苦労せずに該当箇所を引くことができたのは、3時間の復習のお陰で す。しかし、それにしても17年勉強していなかったわけですから、よくできたなと今でも不思議です。2問とも具体的な問題でしたから助かりました。

中国の大連にある東北財経大学の客員教授に招かれていましたから、筆記試験が終 わり、慌てて9月5日に日本を発ち北京に入りました。その後、大連で教鞭を取り、西 安、上海の4都市を回る一ヶ月の旅をしました。その間に1次の合格発表がありました ので家人に見に行ってもらい、電話で名前があったことを知りました。私はもう少し 、中国に留まろうかと思っていましたが、2次の口頭試験が9月30日にあるとのことで 、慌ただしく帰国することにしました。中国に1ヶ月も滞在していましたからでしょ うか、成田に降りた時にはひどい下痢を起こしていましたが、申告して入院という事 態になると口頭試験を受けられなくなります。黙って入国。翌日の29日はずっと家で寝て、30日、這うようにして大学に行きましたが、口頭試験はほとんど問題なく済み ました。真ん中に白髪の教授と思しき人、両端におそらく助教授の方でしょうが2人 座っていました。真ん中の某先生は終始にこにことされ、両端のお二方に「何か聞く ことはありますか。私からは聞くことがない」と言われていたのが印象的です。その 後、「何を研究したいのか」という質問を受けていろいろと話をしましたが、主に両 端の方が突っ込んだ質問をする。表現を変えれば意地の悪い質問をするという役回り を分担されていたようです。ずれているぞと思った質問もありました。時間にして 10分から15分ぐらいで済みました。「じゃあ、次」と言われたときに、次は何の質問 だろうかと身構えましたところ「次の方に変わってください」という指示でした。あ っけなく私の口頭試験は終わりました。これを土居君に話すと「それは通りますよ。 時間が予定時間内に終わっていれば大丈夫。筆記試験がボーダー・ラインの人は口頭 試験で合否を選択するので随分時間がかかるんですよ」ということで、確かに私の 口頭試験を受ける予定開始時間も1時間半ぐらい遅れていました。考えてみますと随分とラッキーなことが続いたものです。

本当に幸運だったと思います。阪大からの通知がなければ大学院進学は思い立って いなかったかもしれません(後になって自分の書庫に『大学院に行こう』みたいな本 を見つけて驚愕しましたけれど。おそらく、潜在的な願望は以前からあったのでしょ う)。何人かの先生と話す機会が持てたことも大きかった。土居君 が東大大学院に在学していたことが決定的だったかもしれません。なにしろ、自分 ではほとんど動かず、彼に願書や過去問を会社に届けてもらったのですから(ものぐ さなものです)。民法を選択したこと、また、その年の出題傾向も私に味方したよう です。すでに著作があり、日本ではないとはいえ、大学の教授をしていたこともプラ スだったのかもしれません。先には詳しく書きませんでしたけれど、職場で上司(経 済企画庁出身の元官庁エコノミスト)と合わなかったことも遠因となっていると思い ますが(職場環境が良好であれば、他の居所を求めるほど、私はアグレッシブではあ りません)、それもその時は感謝したい気持ちでした。

3時間だけ勉強したという話も、誤解されそうなので、あまり話さないようにして いるのですが、非常に効率的だったのだろうと思います。ある友人によると、瞬間的に力を 発揮できるということが私の実力なのだそうです。『3時間の勉強で大学院に行こう 』みたいな本を書いたら売れるね、と半ば揶揄した友人もいました(そんな本があるなら、私が読みたい)。その本の最後に必要なことは才能だと書いてあれば怒るけどね 、と言った友人もいます。

自分で書いていても自慢しているように聞こえるだろうなと思うのですが、そんな 気はないのです。ただただラッキーだったと思っています。

これだけラッキーが連続しているからには、後がうまく行かないことなど疑ってみ もしませんでしたが、好事魔多し、楽観的だったことが災いして、会社を辞める羽目 になるのです。それは、また、この次。