『通貨政策の経済学』
(クルーグマン著。共訳) 東洋経済新報社 1998年
マサチューセッツ・アベニューは、ワシントンとボストンにある。本書は、そこで活動しているニュー・ケインジアンが共有している為替レートと対外不均衡に関するモデルの有効性を論じた書である。このモデルは、35年以上も前にマンデルとフレミングによって開発され、期待の役割を明示的に取り入れた上でマクロ計量モデルでも広く用いられている。
1980年代後半のドル安局面においてアメリカの貿易赤字が思った程には縮小しなかったが、本書は現実には2年程度の遅れをもって対外不均衡を是正する効果があったとの反論を行っている。アメリカの貿易赤字は、競争力低下によって引き起こされたことを主張する構造重視派(カットナー)や安全保障重視派(プレストヴィッツに代表されるセキュラリスト)、異なる財の間の代替性と財価格の下方伸縮性が高いので、固定レート制度の利点の方が大きいと主張する一財モデル重視派(マッキノンに代表されるシュモーイスト)の論拠を快刀乱麻を断つごとくになぎ倒している。
評者は、確かに為替レートの変動は適切な財政金融政策の組み合わせの下において対外不均衡是正に効果をもつが、中長期の経常赤字や黒字は経済成長の基本的決定要因から生み出されるものであり、是正すべき政策目標ではないという点をもっと強調すべきであると考えている。マサチューセッツ・アベニュー・モデルは、景気循環的な貿易不均衡を説明するには有効であるが、経済の生産供給面での構造変化から発生する対外不均衡を無視している。
しかし、残念なことにこのモデルの推進者(バーグステンやアメリカ政府高官)は、日米対外不均衡是正のために円高のみを求め、過度の円高を通じて日本経済に必要とされる以上の政策調整を課してきた。この点で円高症候群(シンドローム)は、最終的には日米経済摩擦を解決することはならなかったとするマッキノン・大野著『ドルと円』の診断に共感を覚えるのは評者のみではあるまい。
東京大学教授 岩田一政
(出所:1998.7.5 日本経済新聞)
「為替レートは収支調整に機能する」
ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学といえば、アメリカを代表する経済研究機関である。ボストンの近郊ケンブリッジ市にあるこれらの大学を結ぶのが、マサチューセッツ・アベニューだ。
有名な全米経済研究所(NBER)も、この通りに面している。一方、政策の中心地ワシントンDCにも、マサチューセッツ・アベニューと呼ばれる通りがある。アメリカを代表する政策シンクタンクである、ブルッキングス研究所や国際経済研究所(IIE)は、ここに立地している。
マサチューセッツ・アベニューという表現には、エコノミスト・政策分析家のメインストリーム(本流)といった響きが込められている。
実は、為替はどのように決定されるかという経済学の分野において、“マサチューセッツ・モデル”なるものが、大きな重要性を持っている。本書は、1980年代の経常収支不均衡の時代を念頭に、このような主流派の見解を軸にして為替変化がいかに有効に経常収支不均衡を調整するかを論じたものだ。
1990年の終わりに、国際経済研究所においてこうした基本間題に関する一大専門家会議が開かれた。本書は、この会識の中心的存在であったP・クルーグマン(MIT教授)が、会議における主要な分析結果と、政策上のインプリケーションを明快に記したものである。原書が書かれたのは、もう7年も前のことだが、今日の経済の基本メカニズムを理解するうえで、極めて重要な貢献をなすものと言える。
本書ではまず、国際収支調整の主流派の見解が「マサチューセッツ・アベニュー・モデル」として再整理される。ここでいうマサチューセッツ・アベニュー・モデルとは、いわゆるマンデル=フレミング・モデルに、インフレと為替変動に対する期待を取り入れたものだ。
著者自らを“主流派”と位置づける点に反発はあるかもしれないが、日本でも一時期「貿易黒字によって円高が進む」といったいかがわしい為替理論がまかり通ったことを考えると、標準的な見解を改めて重視することの意味は大きいだろう。
これに対し、標準的見解への反論として3つの学説が紹介され、さらに各学説の通貨政策に対するインプリケーションが議論される。最後に、アメリカ、日本、ドイツにおける最近の経験から、いくつかの教訓が導かれる。
結論として、「為替レートの伸縮性は機能する」「為替レートの変動は必要である」「貿易と為替レートの関係は安定している」点が述べられる。
興味深いのは、本書に「通貨政策の経済学」というタイトルが付けられていることだ。原題を直訳すれば「調整プロセスは機能したか」ということになるが、これを通貨政策と結びつけた点に、訳者たちの思い入れが感じられる。
マーケット分析のための「現場での使用に堪える教科書」として、本書の意義は大きい。
慶応義塾大学教授 竹中平蔵
(出所:1998.7.28 エコノミスト)
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